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April 06, 2004

文春騒動

出張先で昼飯を食ってる時にTVをみていたら、なかにし礼が今回の文春騒動にて非常に明快な回答を出していた。
公人、私人という区別は報道の前には本来無意味な区別である事、公益性とかニュースバリューというものを決定するのは結局報道側の判断でしかない事。(少なくとも司法が判断してはならないしするべきでもない、そもそもそんな役目は無い、それすなわち検閲だから)…等々といった事を話していたように思う。
逐一覚えてないので何だが、少なくともTVでこういう発言を出来る人がいてくれて少しほっとした思いである。

結局公人、私人というのは幻想だという事なんですなあ。普通に使われてる言葉だけどよく考えてみると確かにあまり意味をなす区別でもなければ意味も無い言葉であるよ。
結局プライバシーってやつは言論の自由の前にはある程度犠牲にならざるを得ないって事なんだな。侵害された事で被った被害の回復は事後にならざるを得ない。それだけの覚悟が自由ってやつのためには必要なのだ。

メディアの側にそれだけの自覚が常にあるかという自問や自戒は求められてしかるべきだが(さらに言えば読者側にもであるが)、それにしても同時に読んだ読売新聞の社説はヒドイもんだった。あまりに馬鹿馬鹿しいので我が目を疑ったほどである。
低俗な週刊誌の低俗な記事など検閲されて当然だといわんばかりで、本質論のカケラもない。てめえの首を絞めて何をそんなにいきり立ってんだってなものである。

なまじ「高級紙」とかいう思い込みがあるから勘違いするのかねえ。所詮報道なんざ「低俗」な「センセーショナリズム」以外の何物でもあるまいがっつー話ですよ。

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