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September 2005

September 19, 2005

短く言うと

自分でも何書いてたか案外覚えてないものなので本サイトの過去記事を再チェックしてみた。
自分の考える事だけに書こうと思っていた事を実は既に書いてたりするのな。
で、まあ思ったのは最近この国って選挙するたびに状況が悪くなってんじゃんて事よ。
郵政?極論どーでもいいよそんなもん。どこが政権とってもいずれなるようになるっちゅーの。
そこに結果的にマスクされてしまった部分が重要なんだよ。

September 17, 2005

選択肢は用意されるのか?

現状落ちたりとはいえそれなりに大政党な民主党の党首に43歳の前原氏が決まった。小泉純一郎と20歳差というコントラストは政党としてみれば悪くはないように思う。自民党にしても小泉政権発足時に首相が50代だったことを考えればポスト小泉もそれなりに若い世代を登板させざるを得なくなっていくのだろう。
だが小生にしてみると世代ははるかに近いにもかかわらずどうも自民も民主も若い世代ほど信頼できない一面があるので困った物である。
だいたい最近の世代で政権とったる!みたいな野心家はほぼ間違いなく戦争も辞さずみたいな威勢の良さを内に秘めているはずというのは偏見か?
別に彼らが戦争をしたがる好戦家だというのではない。ただ論理的と言えばそうだが国際政治の中で必要となれば躊躇しないという、実体験として知らぬが故の強烈な嫌悪感を持っていないだろうという点に危うさを感じないではいられない。
政治カードの一つでしかないという割り切りはスタイリッシュだが所詮俺ら政治家も官僚も戦場には行かないという意識がどこかにあるからそう言えるんだろうと。逆説的だが戦後の豊かな暮らしのなかで温々と育ったが故の平和ボケなのかもしれぬ。

論理的には改善すべき点が無いとは言えないので改憲すべきでないとは言えないが、実質的にはこの場合改憲というのは9条をターゲットにしているのと同義である。実際に改憲が成立させようとすると現状ではまだまだ技術的にハードルが高い状態だが、近頃はそこの技術論をまずクリアしようじゃないのってな話で、中長期的に見れば改憲は既定路線に思えて仕方が無い。

まあ弁護的に言えばある意味生真面目すぎるのだと思う。
それなりに勉強もしているだろうし、世代的には普通に考えれば一番平和/護憲の路線で教育を受けてきたはずの世代ですからね。ただ国民に対して責任ある立場になった時に国防というテーマをどうしようかって考えたらどうしたって9条の壁がある意味邪魔に見えてしょうがなくなるのは簡単に想像できる。
リアルな問題として考えたら「攻め込まれたらどうするんですか」と問われて「降伏します」じゃ政治家としてカッコがつかないと思えるじゃないですか。
だが小生は本当の政治はリアルなお勉強の世界ではないだろうとあえて言いたい。政治家というもんはリアルを超えた大言壮語の理想人(ある意味詐欺師的な意味でも)たちであって欲しいのだよ。戦争を出来るカードが欲しいなんてのは小粒。単に楽に政治がしたいだけちゃうんかと。
憲法の縛り上等、それでも政治力で勝つぐらいの勢いで「我が国は戦争はしない。たとえ攻め込まれてもだ。だが、それ以前に我が国は絶対に攻め込まれない。それが我が国の政治家の使命だ」みたいな事を政権政党レベルの方たちが言ってくれないものかと...たとえ根拠は無くとも迫力はある感じで。←純一郎スタイルともいう(笑)。方向性違うけど。

ベトナムで相当痛い目にあったアメリカでも、簡単に忘れてイラクで似たような事やってますからね。所詮国家なんて物は戦争に対するタガが緩いとこうなるんですよ。ましてや前回の戦争であり得ないところまで突き進んだ我が国の国民性というものを考えるとタガが緩んだらまた絶対同じところまで突き進むからね。もう間違いないですから。
確かに先の戦争では敗戦した。しかし今の日本の暮らしぶりを見ればその後は間違いなく勝利。資源が無いのにこの暮らしぶり。例えばリアリストならそこの現実をもうちっと考えてくれと。先の戦争の敗戦も結局はそこで所詮日本は戦争に耐えられる体力は無い国だ。たとえ「核」を持ってもいざ戦争となれば通常戦が避けられる訳では無い。ましてや自国が戦場になった場合「核」を撃てる訳も無く、その意味では「核」は絶対的な力ではない。

ちなみに改憲論者は最終的にはしばしば核保有すら否定しない(どころか積極的な事すらある)が、そういう輩に北朝鮮のゴネを批判する資格は無いぞ。

60年前に核兵器の開発がアメリカより早く完成していたら間違いなく我が国は核攻撃を行っていただろうが、それでも敗戦は免れなかっただろう。それを考えると完成しなくてまだしも幸運だったというべきなのかどうか、とにかく歴史は日本が被爆国になる事を選択した。

核攻撃をくらった経験のある唯一の国家としてなお、将来的に我が国が核保有国になる事を選択したならばそれこそ精神的敗北だと知れぃ。

September 13, 2005

総選挙

それにしてもだ。
こりゃ勝たせすぎたなと大方の人は思ってるんじゃないかね。
郵政の賛否で言えばまあこんなものだろうとは思うが、過去数年の通信簿としてはどう考えても得点が高過ぎってもんだろう。

September 11, 2005

選挙速報

どうせ与党が勝つとは思っていたが自民15年ぶりの単独過半数のイキオイとは正直おったまげ。
2大政党どころか民主党は壊滅状態ではないか。いったいこの国はどーなってしまうのだろーか。

A Bigger Bang

今日がどういう日かという流れ全く無視ですが。

いまさらThe Rolling Stonesのニューアルバムで大興奮するとは思ってもみなかったので嬉しい誤算。すげえ良かった。
1曲目からStones特有の猥雑なテイストが満載。90年代以降にようやくリアルタイムリスナーとなった身からするとVoodoo LoungeもBridges To Babylonも何年か寝かしてまあまあって感じだったのに比べると今回は最初っからビシっと来たのが怖いくらい。過去の再生産ちゅーのは簡単だが、ちゃんと今の音になってるし強いバンドだ。爺ぃ共恐るべし。これでBassが正式メンバーで発言権がもっと強力だったらさらに凄かったかもなあ...

ちなみに日本盤はまたまた来やがった謎の珍盤だったので当然無視。US盤をAmazonでポチりました。
まったくいつまでこの馬鹿げた話が続くんですかね。これでUS盤が珍盤になってしまったら残るは開いてて良かったiTMSが最後の砦って事になるんか。

September 10, 2005

総選挙

明日は総選挙である。
小生としては首相をお辞めいただく千載一遇のチャンスを自ら提供してくれたかと思ったのだが、こういう場面だとある種の悪魔的天才性とでもいうべき底力っつーんですかね。いやすっかり喰われてしまってますな。残念だが自公圧勝の予感。
とにかく小生的にはもう一度政権交代を見てみたいのだが。

September 04, 2005

成田亨の美術世界

知る人ぞ知る成田亨については語らずを決め込んでいたのだが(←意味不明)、これらの労作を前にしてコメントするとなるとどうにも避けられないのだな。
『成田亨の世界』展を観る PART1
『成田亨の世界』展を観る PART2
こんな辺境で御託並べたところでどうにもならないとはいえ、なにしろ良くも悪くもネットの世の中だ。
ココログが無くなるかこっちが解除しない限りこのままなのよね。

という訳で成田Worksを特撮周辺の枠組みで語った文章は今までも数多く発表されていると思うが、それ以外の眼をもって記した文章は知る限りでは極めて少ないと思えるのが現状だ。その意味でも前述のリンク先は貴重な労作である。

といってもここ10数年ぐらいの状況って実はよく知らないので間違ってたら何だけどな〜。

ところでこのレベルの内容が個人のささやかなブログで語られるしか無いというのもなかなか貧しい話だ。最近になって多少散見するようにはなったが本当に全くと言って良い程に語られてこなかったんだよ。ざっくり20年は遅いというか空白というか。
我々の世代ぐらいになると芸術は芸術として存在するし適当な言葉が見当たらないので使用するがサブカルチャー/ポップカルチャーはやはりそれはそれとして存在するので、言うなればClassicは高級でRockは低俗みたいな古くさい決めつけと変わらん故それぞれに優劣つけようとは思わないが、なかなかクロスオーヴァーしないのは音楽も美術も変わらない。まあ村上隆みたいなのは手口のみが先鋭に過ぎて個人的には受け付けないがね。(つまりその中では勿論、良いものもある、(だけど)悪いものもある。って事な)
まあ何だ。実感として古典美術と成田亨っていう視点で見られる層って大きな括りでいう所のClassicとRockをともに好む向きよりもより少ない感じはするものねぇ。

一つにはそれだけULTRA WORKSが偉大に過ぎたという事実は否めないのだが。事実モンスター造形という点だけを取り出して見ても既に発表から40年たっているにもかかわらずその斬新さは質/量ともに未だに世界的に類を見ない。もとよりベクトルが違う方向なのは承知の上で有名かつたぶん金持ち(笑)だから引き合いに出すけど、例えばほとんどその感性だけでモンスターを生み出したHR.Gigerなどと比較すれば、成田亨は感性のみならず美術的な意味で極めて論理的な視点を持つ事が出来た故にバラエティに富みながら署名的という点ではその差は明らかである。

今に至るまで資本主義というか商業主義という現代社会の枠組みの中で、あるいは映画/テレビ界の中でその極めて早期から関わりながら芸術家が出来る事、やるべき事といったものをその葛藤までコミで非常に自覚的に取り組んだのはひょっとして成田亨一人だけだったのではないかとすら思える。というか逆に言うとそのポジションには成田亨しかいなかったとしたら他にいる訳も無いのだが、今となってはこれは我々にとって極めて幸福な配剤だったと(成田本人の意志はさておき)天に感謝すべきなのである。

てかやっぱり内容かぶっちまったなぁ。まあ備忘録って事でかんべんしてつかーさい。

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